2013年08月02日

作文

以下、管理人の所感です。
一個人の意見です。
(某所に向けて作成したものの、“没”にしたものです)

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以下、記念受験、もとい記念書込みを…

(前文(一部省略))
御意見頂ければ有難いです。

※以下、何らかの機関から認証なども特に得ていない、“素人”の文章です※

私事ですが…
私の周囲の人々(主に日本人)について、
『家族的類似性』(家族の一人一人が、異なっていながらも全体として似通うものをもっているように、構成単位の一つ一つが、ある共通の特徴をもつものとして群を成すことその状態、というような理解をしています)を感じること(「個人の主観」と言ってよいと思います)から、
主に二つの群に分けるという行為をすることが有ります。
群の性質については、一方にはいわゆる『ADHD(的)』的性質、もう一方には『AS(的)』的性質を考えます。
(・)これら『ADHD』性の保有群、『AS』性の保有群については、家族的類似性にもとづく群としての存在を個人で定めているに過ぎず、学会がそう呼び、扱っているそれらとは 異なっていることがあると思います
(・)群に分類できない人もたくさん見かけます。分類の仕方については、私個人の感覚に依るに過ぎません
(・)想定している『ADHD』性、『AS』性については、おおむね精神科医の後藤健治氏(HP http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/ )の説に依っています。大きな特徴としては、それぞれ『ADHD』性、『AS』性を『ADHD者』、『AS者』に固有のものとしたうえで、「(両者は)先天的に別個のものである」とする立場が挙げられます (と考えます)
(・)なお、後藤氏の立場とは異なる立場もありえるでしょうし、立場については、個々人が目的に応じて多様な立場をとる(もしくはとらない)ということに過ぎないと考えると、立場の違いは、分類の仕方の違いに過ぎず、どの立場をとろうが、個々の立場には全て(立場としての)均等な意義がある、とも感じます

これら『ADHD』『AS』(的存在)は特に、いわゆる「発達障害」のトピックとして知られていると思いますが、トピック内(、あるいは皆さんの周り)で“症状”として挙げられているものについて、(仮に存在するとして)先天的性質や、後天的な要因といった枠について考えるなどして合意を得、(これら合意も日々見直しが必要と感じますが、)結局のところでは、関心を持つ人一人一人が自身の納得を得ると、その人本人の生活がより納得のいった?生活になるのかも知れないと考えます。

「発達障害」のトピックについては、私個人が、自身の日常に激しめの違和感のようなものを感じていた時期、
興味を持って触れていた憶えがあります。
一時、大学の心理学部に転部をしようかとも考えましたが、そうすることなく
現在に至ります。
20代の一学生の日常をお届けしました…

(個人の気持ちとしては、人々が生活をしやすい環境のもとで快適に日々を
暮らして欲しいと考え、結局のところ、現在は、人一般の認知の機能について
興味を持っています。「大学か学会に行け」と言われそうです。)
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...という感じです...
以上、管理人の気のせいかもしれません(笑)
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posted by mk at 21:35| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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